敦賀ロータリークラブ

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過去の歩み 2006年7月〜2007年6月

■ロータリー第2650地区第5グループ インターシティミーティング 
ホスト:大野RC 2006.10.21 於:大野有終会館

IMの様子 IMの様子

【テーマ】  「ロータリーを考える 〜ロータリーの魅力と絆〜」

【基調講演】  「『ロータリーの絆』〜なぜロータリーに入ったのか〜」

       講師 田中 毅氏 RI第2680地区パストガバナー(尼崎西RC)

        

【パネルディスカッション】  「ロータリーの魅力と地域の絆」

        

◇ゼネラルリーダー  神谷保男パストガバナー(敦賀RC)

        

◇パネラー    増田善宏(福井C)  石川満夫氏(武生RC)

             松原六郎氏(福井フェニックスRC) 刀根莊兵衛氏(敦賀RC)

    

【要旨】  平井義久ガバナーを迎えて「ロータリーの魅力と絆」をテーマに、第2650地区第5グループのIMが開催され、第2680地区田中パストガバナーの基調講演の後、神谷パストガバナーをゼネラルリーダーとしたパネルディスカッションが行われた。また、会議の後は懇親会が同会館で開催され、会員相互の親睦を深めた。

■国際奉仕委員会 「フランス兵墓地供養」
2006.9.27 11:00〜 於:来迎寺

旬を食す会の様子 旬を食す会の様子

1960年10月22日に始まった、フランス人墓地の清掃奉仕と会員による参拝は21世紀になった今も引き継がれている

創立50周年を迎えた今年も、国際奉仕委員会が中心となって9月27日の例会前に行われた。

来迎寺住職の読経の中、2人のフランス人が祀られたお墓に参加した小牧会長以下20名の会員が焼香し、手を合わせた。


 

【フランス人墓地由来】

     

1894年(明治27年)及び1911年(明治44年)当時敦賀沖を航行中、艦内で病死したフランス東洋艦隊のコンベック二等水平とウラハユエス砲兵長を弔ったもので、1916年(大正5年)フランス政府の依頼で当時の敦賀町が建立したものであります。

第二次世界大戦が始まるまでは、毎年フランス東洋艦隊が入港し、儀礼兵が墓参していたが、開戦後は訪れる人も無く、戦後派荒れるに任せていた。

これを聞いたロータリークラブでは、1960年(昭和35年)10月22日当時の国際奉仕委員会が中心となって清掃奉仕し、墓前に菊花を捧げて異郷に眠る霊を慰めたのが始まりで、以来毎年この奉仕を続けております。

この間、墓標があまりにも痛みがひどいので1982年フランス大使武官ピエール・セイアン海軍大佐を招いて、墓地開眼供養を行い大変感謝されました。

尚、1984年(昭和59年)には福井市の『だるまや西武』に於いて関連の写真展を開催しました。

又、1978年(昭和53年)4月彦根市民会館に於いて開催された、第2650地区年次大会にこの件が『意義ある業績賞』の表彰を受けました。


■職業奉仕委員会 「第22高校生模擬面接」
2006.8.24 於:ウェルサンピア敦賀

旬を食す会の様子 旬を食す会の様子

8月24日、第22回高校生のための模擬面接が開催された。

敦賀高校、気比高校より93名が参加、面接官は会員15名、会員企業9名の出席を頂いた。

10ブースにわかれ、面接が始まり、参加者は緊張しながらも面接官の質問に答え、面接が終わるとほっとした表情で帰っていく姿が印象的であった。

生徒にとっては貴重な経験となったと思う。

反省会では、決め細かな評定講評が発表され、両校の先生よりご丁寧な謝辞があり、無事面接会は終了した。


■親睦委員会 「旬を食す会(松茸づくし)」
2006.8.9 19:00〜 於:あみや旅館

旬を食す会の様子 旬を食す会の様子

親睦委員会のお世話で「旬を食す会」が開催された。

今回は松茸を素材としたお料理で、あみやさんの工夫を凝らした松茸料理を堪能した。

会員23名、夫人2名、その他2名と27名の参加で2時間を越える楽しい食事会となった。

【記事:広報委員会】



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